WFについて知る

Wilderness Facilitationについて知る

 

Wilderness Facilitation?


中学2年生の冬航海から帰ってみると、いつも眺めていたはずの世界が小さく見えた

当時煮え切らない学校生活の中で卑屈になっていた私は、
自分が閉じこもっている世界が、まるでこの世の全てであるかのように思っていました。
けれど、そうじゃないことをこの旅は教えてくれました。

ヨットの上から見た水平線、かっこいい男の姿…世界は広い!
僕の知らない景色、僕の知らない人、未だ見ぬ魅力的な世界が無限に広がっている!
縮こまって生きることはない、僕には可能性がある!

伯父が連れて行ってくれたヨットの旅は、私の目に映る景色を変えました。
そして私に一歩踏み出す勇気を与え、
私の人生は私の手で切り拓けるのだ、ということを教えてくれました。
海の上で過ごした4日間があったから今の自分がある、そう思える体験でした。

Wliderness facilitates personal growth.”
「自然が人の成長を支えてくれる」

私の原体験がWilderness Facilitationの根幹になっています。[エピソード1を読む]

What we do


Wilderness Facilitationは、

中学2年生の私のように、それを必要としている人に向けて、
人生を支えてくれるような体験の機会をつくりたいと願って活動しています。

具体的には、

「旅は人生の道しるべ」をコンセプトに掲げ、
各カテゴリー(小学生、ティーンネイジャー、大人、及び家族・親子)を対象にして、
自然を旅するプログラムを展開しています。

また、こうしたプログラムを通して、

「自然が持つ教育力」と、「人と人の相互作用」による、「目の前の一人のための教育」を、
教育の1つの在り方として体現・提案することに取り組んでいます。

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Philosophy


Wilderness Facilitationが、その活動の中で大切にしている6つのこだわりです。こうした体験教育に取り組んでいる団体はたくさんあって、それぞれの違いもわかりにくいだろうと思いますので、わたしたちの特徴としてお読み頂ければ幸いです。

"わたし" のための自己教育の機会であること

社会のため、国のため、組織のため、経済成長のため…誰かの要請に応える人材育成でもなければ、不特定多数の人たちに向けた画一的・平均的な教育でもありません。他でもない"あなた"が自分のために自分を育てる、WFはそんな自己教育の場を提供します。[コラムを読む]

内なる自己に出会う機会であること

「変化の激しい、先行き不透明な、厳しい時代」「未来の創り手たれ」「こんな力を身につけましょう」社会からの要請が響く中、内なる声に耳を傾ける余白がどれだけあるのでしょうか?「わたしが真に望むのはどんな生き方か?」そう問うことがどれだけ許されているのでしょうか?「個性」を育てる重要性が叫ばれる昨今にあって、真の自分らしさに出会う機会がどれ程あるのでしょうか?変化の激しい先行き不透明な時代なればこそ、自分らしい地に足ついた歩みを支えてくれるのは、外側の声よりも内側の声である、そう信じてWFは自己に出会う機会を提供します。[コラムを読む]

普及を求めないこと

賛同や応援を得られることはとても心強くうれしいですが、わたしはWFの教育が普及することを求めません。事業活動の社会的な意義を問うときには、「広く遍くどれだけインパクトが波及したか」ということに意識が向きがちです。しかしWFは「何人が事業に参加したか」「どれだけの向上が見られたか」そんな数値よりも、訪れてくれる1人ひとりの特異な物語を大切にする姿勢を貫きます。WFにとっては訪れてくれた”あなた”が実存的な社会だと考えているからです。[コラムを読む]

自らに問うこと

「厳しい時代が訪れる」「社会に出るって大変だぞ、だからこんな力をつけておかなければいけないんだ」そう語るわたしは、彼らにとってどういう存在なのでしょうか。むしろ「社会に出て自分で道を切り拓いていく、これって最高に楽しいことだよ」そんな背中を見せられる存在でありたい。彼らに成長を求めるよりも、彼らが育つ環境を築けているのかを自らに問います。WFは、彼らに変化を促す教育ではなく、共に育っていく共育の場であり続けます。[コラムを読む]

多様性の一片としてあること

よりよい教育を探求する姿勢は大切ですが、教育を受ける人が様々なら、何がその人にとって役立つかもまた様々。教育の多様さは社会の健全性を表しているのだ考えます。多様性の一片としてWFらしい教育を提案し、社会との化学反応によって第3の教育を求め続けます。[コラムを読む]

自然に学ぶこと

自然とは何か?WFはこう考えます。人間を既定する唯一の枠組みであると。
普段わたしたちは、様々な枠組みの中で生きています。役割、常識、働き方、幸せのカタチ、あるべき社会人像、イデオロギー…等。時にそれらは絶対的なものであるかのごとく振る舞い、わたしたちに様々な要請をしてきます。一方で自然は、それらから自由になること、わたしがわたしであること、創造的になることを奨励し、わたしたちに力を与えてくれます。WFは、コントロールを手放し、自然がもつアプリシエイティブな教育力に学びます。
[コラムを読む]

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Profile


河合宗寛(かわいむねひろ) Wilderness Facilitation代表

2005年、横浜国立大学教育人間科学部学校教育課程卒業。
(公財)日本アウトワード・バウンド協会で冒険教育インストラクターとして勤務。

2006年〜2008年、JICA青年海外協力隊としてタンザニアで活動。Zanzibar State Universityの教員として現地の体育教育振興に従事。大学での体育教員養成及びカリキュラム作り、体育を実践する小中学校の開拓と現場指導、現職教員向けの体育教育セミナー等を行った他、教育省と学校及び大学の協力体制構築に努めた。

2008年〜2014年、(公財)日本アウトワード・バウンド協会にて、青少年教育事業及び指導者養成の企画開発及び指導業務、企業研修研修指導業務を担当。主催事業の他に、新入社員研修、管理職研修、次世代リーダー研修、チームビルディング研修、教員免許状更新講習等を担当。また組織の安全担当としてヒューマンファクターに基づく仕組み作りを行った。

2014年〜、Wilderness Facilitationを設立。「自然が持つ教育力」と、「人と人の相互作用」による、「目の前の一人のための教育」を体現すべく活動を開始。「旅は人生の道しるべ」をコンセプトにして、自然を旅するプログラムを各年代に向けて展開している。
同年、ファシリテーション・ラボ信州を組織。長野にてファシリテーションを学ぶ拠点づくり、ネットワークづくりに取り組む。ワークショップやミーティングのファシリテーターを務めると共に、学習教材の開発やファシリテーターの養成を行っている。

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Episode1


わたしの原体験

私が中学2年生の時でした。当時の私は、自分に自信が持てませんでした。学校では目立ちたいけど特別なとりえがあるわけでもなく、自分の中で決めた「学校でイケてる人ランキング」は中の中。大きく見られたい、どうやって自分を大きく見せようか、と日々考えていたように思います。

そんな中学2年の冬休み、伯父に連れられてヨットの旅に出ました。未知のことをやってみるというのは不安でヨットに乗ることをかなり渋ったと記憶しています。しかも初日から海は大荒れで雨、風、波に襲われ、ヨットが転覆するのではないかとドキドキしました。そんな状況にもかかわらず伯父は冗談を飛ばして笑っていました。何時間かの航海の後、天気は回復し、私たちは港に到着しました。ヨットの上で火を熾してご飯を食べ、ヨットの中で寝ました。港に無事辿りついた頃から、私の気持ちも変化して、旅全体がとてもエキサイティングで楽しいものへと変わっていきました。その後は、一つ一つの体験が新鮮でワイルドで、それまでの私がまるで知らなかった遠い世界の出来事のようでした。4日間を海の上で過ごした後、いつもの生活へと帰ってきました。冬休みがあけて学校生活に戻る と、なんだか周りが小さく見えたことが印象的でした。自分が勝手に作り出していた「イケてるランキング」も変化しました。というよりはそれが幻想であることに気付いたのかもしれません。

この旅で学んだことを1つ言葉にするのならば、「真のかっこよさって、内面からにじみ出るものなんだ」ということです。伯父と過ごして私が肌で感じたことです。それまでの私は、自分を大きく見せかけることばかりに気を遣っていました。それがこの旅以来、「真にかっこいい男になりたい」と思って、自分を大きく見せることよりも、自分の中身を磨くことにエネルギーを注ぐようになりました。すると不思議なことに、未知のことに対して不安ではなくワクワクした気持ちが湧いてくるようになりました。様々なことに挑戦してみようと思えるようになりました。そして何かやってみるとそこから得られることがあって、その都度成長できる自分を感じました。まるで私の人生が狭い世界を飛び出して成長のスパイラルに乗ったようでした。

ほんの少し勇気を出して自分を閉じ込めている世界から踏み出してみることで、人は成長できるように思います。それは子どもでも大人でもいくつになっても同じだと思います。自分のこれまでを振り返ってみて改めてそう感じます。訪れてくれる人にとって真に価値ある場を作っていきたいと思っています。

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Episode2


誰のための教育?

小学校で体育の授業をしているとき、一人の生徒が怪我をしてしまった。生徒は転んでひざを打った。痛くて膝を曲げられないと言うので、授業を中断して病院へ行った。結果、大事に至らずに済んだ。けど、僕は自分の在り方にハッとした。

僕の本来の職場は教員養成大学。学校現場で行われている体育指導の質を高めるために教員養成をすること、これが僕に与えられたミッション。のはずだった。が、実際に赴任してみると学校にも大学にも体育という教科がない。
「おまえは何しに来たんだ?」「体育?なんで学校で遊ぶ必要があるんだ?」そもそもタンザニアは体育教育という概念がなかった。

それから1年余の紆余曲折(これはまた別の機会に語りたい)を経て、僕はパートナーのスレイマンと出会った。彼は教育省に所属し競技スポーツの担当者だ。留学経験のある彼はタンザニアにも体育教育を導入したいとアツい想いを持っていた。僕たちの描いたプロジェクトはこうだ。大学での人材育成に加えて、シラバス作り、カリキュラム作り、学校を巡回して体育を普及すると共に実績をつくること、これらを同時並行で進めていくこと。そして、教育省、大学、学校の連携を強化して、学校体育を開始すること。これが僕たちの当面の目標となって動き出した。

スレイマンと出会って、暗中模索していた僕にも光が射したような気がした。学校巡回が軌道に乗ってきたら、第一世代となる体育教員たちにバトンタッチしよう。彼らに学校を巡回してもらうんだ。大学生の教育実習も始めよう。それから・・・将来を描くとワクワクした。
「この国に体育を根付かせるために」できることは全部やろう。一つでも多くの学校で一人でも多くの子どもに体育を。僕とスレイマンは、忙しい合間を縫って学校を巡回し体育の指導を行った。そんなある日の出来事だった。

一人の生徒が転んで怪我をした。容態を聞いて、病院に行こうとしたとき、ふと気がついた。「あれ、この子誰だっけ?」僕は彼の名前も知らない。毎週会っているのにもかかわらず。この数ヶ月、僕の頭の中にあったのは、この国に体育を根付かせることだけだった。目の前にいる生徒のことは完全におろそかになっていた。自分に愕然とした。

僕がやろうとしているのは、いったい誰のための体育教育なのか?

鳥の視点も、虫の視点もどちらも必要なのは知っている。
でも、僕は虫の視点を大事にしたい。
そう強く思った出来事だった。

この体験は、僕が教育を考えるときの大切な指針になっている。

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