冒険の旅-海と自転車の旅-7日目の記録
昨日あれだけ動いたからなあ、流石に起きてこない。
が、起きてくるなり、
海で遊べる?
おおー、行こう行こう。
ただし電車に遅れないように。
海が綺麗すぎてまだまだここにいたい、
そんな気持ちもあるけれど、帰るよ。
3日目、初めて輪行したときは、文句たらたら、ご機嫌斜めだった少年も、
なんだか朗らかだ。一皮剥けた表情に見える。
辛いことでも嫌なことでも、それを乗り越えて受け入れた人というのはたくましいんだな。
今僕たちは旅の終わりに立っている、そんなことが頭をよぎる。
途中4度の乗り換えをクリアし、自転車を担ぐのも、積み込むのも慣れてきた。
小さな体で重たい自転車を運ぶ人、二人組で工夫して運ぶ人、ちびっこの自転車を運んでくれる人、皆たくましく心強い。
ガタンゴトンガタンゴトン・・・丸一日電車で移動して、ようやく帰ってきた。
迎えてくれる保護者の皆さんのあたたかさが沁みる。
一緒に旅をしたわけではないけれど、旅の仲間のような感じがしてくる。
みまもってくれてありがとうございました。子どもを1週間の旅に出すということは、待っている親にも親なり旅があるのだろう、と思いを馳せる。
またいつか同窓会でも開いて、そんな話もしてみたい。
さてさて、主催者としては、価値観を問われた旅だった。
夏の日本海、静かな海で存分に遊びながら北を目指して移動する。暑くなったら海にドボンだ。去年の教訓から、過酷な峠に挑んだり、長い距離に挑んだり、そういうのはもっと涼しい時期がいいと思った。夏には夏の旅のやり方あるのだと。
そんな着想で始まった今回の計画。
しかし、昨年の旅を経験した子どもたちは、「坂道を登りたい!」と言う。
「平坦な道じゃあ物足りない!」と。
そうくるとは思わなかったよ。
「挑戦することに意味があるんだ、海で過ごす時間はただの遊びじゃん」とまで言われてしまった。
こうして価値観がぶつかるようなシーンも旅の醍醐味だよなーと思いつつ、少年たちに突きつけられた問いが頭から離れない。
遊ぶということに価値はないのか?
挑戦しないと意味がないのか?
遊びと挑戦の境目はどこにあるのか?
頭で考えてもただの言葉遊びになって答えは出ない。
自分の心に問いかける。
僕の願いは?
僕は子どもたちとどんな旅をしたいのか?
子どもたちにとって大事な体験とは?それを僕はどう捉えているのか?
今回の旅を通して、大事にしたいと思えたことがある。
それは、今この瞬間気持ちが向かっていることへ、没頭してみるということだ。
5日目から6日目の子どもたちの姿を見ていると、あの小さな体の一体どこにこんなにエネルギーが詰まっているのかと驚かずにはいられない。朝から夕方までノンストップで海で遊んで、それから20時過ぎまで自転車で走って、ようやく空っぽになった(余力を残していた人もいたけど)ように思う。
子どもたち、いや人間が秘めている可能性というものは凄まじい。そのことを改めて教えてもらったような気がする。日々の生活の中で、無限とも思えるエネルギーが空っぽになるまで、没頭し、やり尽くす機会というのがどれほどあるのだろう。
冒険の旅は、子どもたちが持てる力を全てぶつけても受け止められる存在であり続けたい。